「住んでいる場所から、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所まで何キロメートル距離があるかを計算します。」という簡単なWebサービスがあるようです。
PC/携帯/iPhone Android対応
サイトはこちら
原発距離計算機
http://machi.userlocal.jp/kyori/
1)都道府県を選択
2)市区町村を選択
3)あれば、さらに詳細な地名を選択
で、福島第一原、第二原発からの距離を算出してくれます。結果はツイッターにつぶやくこともできます。
「住んでいる場所から、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所まで何キロメートル距離があるかを計算します。」という簡単なWebサービスがあるようです。
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で、福島第一原、第二原発からの距離を算出してくれます。結果はツイッターにつぶやくこともできます。
震災にまつわるデマがツイッターにより拡散するという事象が頻発しております。ところでその「デマ」という言葉は何なの?
デマの意味 - 国語辞書 - goo辞書によれば 《「デマゴギー」の略》 となっております。
では、同じくgoo辞書で「デマゴギー」を引いてみると「Demagogie」という綴りのドイツ語であることがわかります。
その「Demagogie」はGoogle翻訳(http://translate.google.co.jp/#de|ja|Demagogie)にかけると「民衆扇動」となりました。
ウィキペディアでは以下のように書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/デマより
デマとはデマゴギー(demagoguery)の略で、本来は政治的な目的を持って意図的に流す嘘のことであり、転じて単なる嘘や噂、流言などを指すこともある。前者の意味のデマを流す人物のことをデマゴーグという。
デマゴーグってなんかかっこいいなw
しかし本来の意味でいえばデマというよりは流言のほうが正しいですね、このたびの震災にまつわるデマに限っては。
ところで、僕がまだ生まれる前のこと、女子校生の冗談を発端に取り付け騒ぎとなった事件があったようです。面白いので一読してみると良いですよ。
豊川信用金庫事件 - Wikipedia
スマートグリッドのさらなる効率化とかいうまでもなく、すでに東日本一帯の電力があれなことになってますから、全国的に60ヘルツに統一してしまえばいいと思います。
ビデオとか撮る方はご存知でしょうけども、60フィールドに対してシャッタースピード1/60を当ててるわけですが、これが東日本の50ヘルツの蛍光灯管だと見事に合わないわけです。
いわゆるフリッカー(ちらつき)というやつですね。
そこで50の倍数でシャッターを1/100にしたりと、ちょっとした工夫をしますがそのぶん暗くなったり荒れたりで、さらに照明が必要になったりと、不都合しか生んでないです。
いい歳になるまで60ヘルツ地域でしか住んだことなかったので、東京で暮らすようになってからは微妙にそこが面倒くさいところですね。
ちなみにヨーロッパのテレビ方式が50フィールドなのは、電源が50ヘルツだからだそうです。
追記:
なんかビデオの話しか書いてないですがw たとえば今震災から逃れるために西に避難するという人も多いですが、家電製品などを持って行っても使えない場合があるんです。そんな不便からも解消されますね。
余談ですけども、JR北陸本線の電車に乗っていると、たしか糸魚川駅だったと思うのですが、50Hz/60Hz変更のために車内の電灯がいったん消えることがあります。電車ですらそうなのです。
追記2:
どうやら電車の件は、50/60ヘルツ切り替えではなく直流と交流の切りかえだそうです。
http://twitter.com/#!/kmaeda/status/48525181697794049
@kmaeda @jetdaisuke JR北陸本線の電車に乗っていても、50Hz/60Hz変更のために車内の電灯が消えることはない、ということです。直流/交流の変更のために車内の電灯が消えることはあります。それも最近の車両だと蓄電池からの供給でき得ることもないです。
補足ですが「蓄電池からの供給でき得ることもないです」の箇所、正しくは「蓄電池からの供給で消えることもないです」とのことです。
いまツイッターのようなリアルタイムにコミュニケーションをとるWebサービスが流行ってまして、その膨大な情報量とスピードには圧倒されることも多々ありますよね。
今のところはまだそんな状況も楽しめてますが、
もし事故や病気などで明日から目が見えなくなったりしたらどうしましょう?
これまでと同じようにツイッターを楽しめますかね?(もしかしたら楽しめるよう様々な配慮がされているのかもしれないですけど)
というわけでWebサイトのアクセシビリティは依然として重要な課題です。
例えば上述のリアルタイムウェブ。
僕の場合はザーッとスクロールしながら流し読みして、目についたものだけを読んでいます。これを音声読み上げブラウザでやるのはしんどいですよね。何か別の切り口での使い勝手向上は必要に思います。
あと僕が多用しているYouTubeなどの動画サイトもそう。聴覚障害者向けに字幕(クローズドキャプション)を挿入することができますし、これはGoogle翻訳によって他言語に翻訳することもできます。とはいえ字幕を入れるのは手間がかかる作業なので、なかなか対応できていません。
そうやって制作コストにまで関わってくる現状ではとても難しい問題といえます。例えば動画の字幕にしても、現状のものよりずっと気軽に誰でも使えるツールが用意されて、クラウドでクローズドキャプションを挿入できる仕組みなどがあればいいなと思ったりします。
ということで「だれもが使えるウェブコンクール」というものが開催されるようです。
みんなの声で選ぼう だれもが使えるウェブコンクール
「みんなの声で選ぼう! だれもが使えるウェブコンクール(愛称:だれコン)」は、シニアや障害者などをはじめとする人々や、多様な環境で使うことができる優れたウェブを審査し、表彰するコンクールです。利用者の視点を重視し、本当に使えるウェブが広がることを目的としています。 アクセシビリティ(だれもが容易にアクセスできること)ことを、もっとも基本にした独自の審査基準を元に、専門家・有識者だけでなく市民モニターの声を活かして審査を行います。
前回の受賞サイトも公開されていますので、Webサービスなどを始める際には参考にしてみると良いんじゃないでしょうか。
前回の受賞サイト:だれもが使えるウェブコンクール 受賞ウェブサイト
うちのおばあちゃんがやたらうるさいのです大安やら友引やら仏滅といったことに。そんなん気にせんでいいと思ってる僕ですが、やはりおばあちゃん子なので影響は大きく、ついついカレンダーで今日は仏滅かどうか確かめてしまいます。
そんで、さっき西友にいったらこんなカレンダーがあるのです。KY365というもの。たしかKYは西友的な読み方で「カカクヤス」ですよね。
予想はできると思いますが「大安」と書いて「Oh!ヤス!」と読むそうです。
ちなみに僕が酒飲みによく行く新宿駅中央東口の蕎麦屋さんは「大庵」と書いて「だいあん」と読みます。蕎麦はともかく酒のあては最高ですオススメ。
手打そば 大庵 | アクセス
戦闘機といえばどうしてもわれわれ日本人になじみ深いのは同盟国である米空軍のものですよね。
しかしEUなど西欧諸国や、冷戦時代にアメリカと切磋琢磨した旧ソ連およびロシアにもすんごい戦闘機は存在しています。
特に旧ソビエト連邦のスホーイ設計局、ミグ設計局の名機に的をしぼった特集記事が、時事ドットコムにありました。これは必読。
▼時事ドットコム:特集・赤い星の戦闘機 ミグ&スホーイ
かの名機MiG25から、噂の新星 ロシアンステルスT50までを網羅。こうしてみると、Su27ベースの機体が多いですね。コブラコブラ!プガチョフプガチョフ
東武デパートの個室トイレに入ったら、こんな注意書きの貼紙がございました。
上の写真の通り、
「お手荷物」の「お」に赤丸をつけて「まちがい」と指摘している落書きがあります。
たしかに「お手荷物」という表現はなにか違和感が大きいですよね。文章としてよりもおもに口語の音声としておかしいような気がします。日常生活であまり「お手荷物」とは言いませんからね。
たぶん「お手荷物」の「手」がスムーズな発音を阻害しているので「お荷物」とすれば良いのでしょうけど、それはそれで「じゃまな役立たず」の暗喩としての「お荷物」を感じとってしまうので、客商売語として好ましいとは言えませんね。
はて、それでは本当に間違いなのかと検索してみたらば、なんとあの大企業のJALが検索結果トップに出てまいります。こちらのページです。
▼JAL国内線 - お手荷物について
ああ確かに「手荷物」というものは旅客機用語としては存在していますね。それは「お荷物」には変換できません。やはり「お手荷物」になるのが妥当に思えます。
が、前段のデパートのトイレ内ではそもそも持ち込めるサイズが手荷物程度ですので、それ以上との区分は不要です。やはりここは「お荷物」としたほうが違和感は少ないかもしれないですよね・・・
渋谷区の某高級マンションのエレベータの壁に貼ってあって連れと大笑いしたもの。
まずこのクリップアートが変すぎる絵だし、この掲示内容にまったく適してないと思います。廊下くらいしか共通項ないじゃん!(笑)
とにかく、ここの歴代の管理人さんは皆さんオリジナリティあふれるクリエイティビティを発揮しておりますな。他にも逸話ならいくつかある。
それにしてもここもマナーが悪くなってきたものですね。前はみなさんちゃんとしてたのに、入居者も減ってきて、さすがに殺伐としております。やはり今どき高級なとこにお住まいになられるのはちょっとズレてないと無理なんでしょうかね。土地柄は良いけども実質まったく地の利もないのに高額すぎる家賃は払う気になれないものなあ。
ちかごろ富みに「スマホ」という言葉を目にするようになってきた。スマートフォンの略である。
しかしこの言葉、目にするたびにむず痒くなる。
ほかに「○○ホ」という言葉から連想されるものがあるからだ。
いや、連想しない人々もいるだろう。きっとそういう層が「スマホ」と略したに違いない。まさかGを連想する輩がいようとは思いもしなかったのだろう。無垢な知識人たちが「スマホでいんじゃね?」的に略称を決めてしまったとしてか思えない。
いや、そもそもが「本」とは「書籍」とは何たるかを知るのがまずは初等教育の段階でして、「昔は紙でできた教科書でね・・・」という昔話にしてしまってはいかんのです。分かります?
たとえば僕が大学に入学した当時はIT革命前夜だったのですが、そして今ではDTVだのDTMだのと当り前にやっていますが、それでもやはりアリフレックスの16から入ってフィルムの切り貼りをやりますし、銀塩写真の現像もやりますし、のり付けでコラージュしたり、烏口で直線ひく練習もして、オープンリールをハサミで切るわけです。
動画や音声の編集ひとつとっても、ハサミやカミソリのメタファーが心理的に受け入れられるのは、そういう道具を実際に使ってたのを知ってるからですよね。だからこそ逆に現在のiMovieのように完全にデジタルならではのユーザインターフェースが生まれたことにも感動がある(あれ自体は駄作だけどw)。
新しいものを否定しているわけではないんですよ。
ただ、初めて書物らしい書物に触れる時期であり、もっとも多くの書物に触れるであろう時期に、電子書籍だったというのはこれはないなと思うじゃないですか。
それは郵便を知らずにEメールを語る大人を量産するような行為だと思うのです。
むかし、絵描きの友人とPhotoshopでアンドゥするという行為について、何日も議論しあったことがありました。まだヒストリー機能もなくほんの一回しかアンドゥ/リドゥできない時代にです。極端にいえば、本物と二流の線引きはそこで出来るからです。
本は紙、これは紛れもない事実です。それをいきなりすっ飛ばして電子書籍から入ってしまうのはどうかと。本を知らずに育つというのは、本を作れなくなるということです。本のない国は「知」がないということです。それがどういう国かは言わずもがな。
緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす 田原総一朗 (著)>