緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす 田原総一朗 (著)>
書籍の電子化はもはや急速に浸透しつつある。世の中のすべてのものが便利なデジタル化に進んでいる。そしてついに教育の現場にもデジタル化の波は押し寄せてきている。教科書がデジタル化されようとしている。便利で経済的だからいいじゃないかという声の元に。(中略)しかし、デジタルは人と人が顔をつき合わせて行うコミュニケーションがない。すべて自己完結してしまう。そこには議論もない氏の言う『デジタルは人と人が顔をつき合わせて行うコミュニケーションがない』とはどういう意味かよく分かりませんが、ぱらぱらマンガや落書きができない時点でもはや教科書ではありません。
いや、そもそもが「本」とは「書籍」とは何たるかを知るのがまずは初等教育の段階でして、「昔は紙でできた教科書でね・・・」という昔話にしてしまってはいかんのです。分かります?
たとえば僕が大学に入学した当時はIT革命前夜だったのですが、そして今ではDTVだのDTMだのと当り前にやっていますが、それでもやはりアリフレックスの16から入ってフィルムの切り貼りをやりますし、銀塩写真の現像もやりますし、のり付けでコラージュしたり、烏口で直線ひく練習もして、オープンリールをハサミで切るわけです。
動画や音声の編集ひとつとっても、ハサミやカミソリのメタファーが心理的に受け入れられるのは、そういう道具を実際に使ってたのを知ってるからですよね。だからこそ逆に現在のiMovieのように完全にデジタルならではのユーザインターフェースが生まれたことにも感動がある(あれ自体は駄作だけどw)。
新しいものを否定しているわけではないんですよ。
ただ、初めて書物らしい書物に触れる時期であり、もっとも多くの書物に触れるであろう時期に、電子書籍だったというのはこれはないなと思うじゃないですか。
それは郵便を知らずにEメールを語る大人を量産するような行為だと思うのです。
むかし、絵描きの友人とPhotoshopでアンドゥするという行為について、何日も議論しあったことがありました。まだヒストリー機能もなくほんの一回しかアンドゥ/リドゥできない時代にです。極端にいえば、本物と二流の線引きはそこで出来るからです。
本は紙、これは紛れもない事実です。それをいきなりすっ飛ばして電子書籍から入ってしまうのはどうかと。本を知らずに育つというのは、本を作れなくなるということです。本のない国は「知」がないということです。それがどういう国かは言わずもがな。
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